自己紹介
初めまして、海鹿島海斗(あしかじまかいと)と申します。もちろん本名ではございませんが、この名前で通させてくださいね!今日ははじめまして、ということで自己紹介を書きますね!1978年4月21日生まれの男です。1996年に友人の誘いで、ミニFMというメディアで喋ることになりました。本来は大学受験のときなのですが、もともと音楽好きだったということもあり、ミニFMで音楽をテーマに喋ることにハマります。このころから、ラジオに呪われた男になっていきます・・・。
ここで、ミニFMというメディアについて説明しますね。電波法第4条によると「無線局を開設しようとする者は、総務大臣の免許を受けなければならない。」と書かれていますが、例外も示しております。そのうちの一つの項によると「発射する電波が著しく微弱な無線局で総務省令で定めるもの」としております。この電波を使って、免許なしで放送するラジオ局のことをミニFMといいます。微弱な電波について具体的な指針としては、電波法施行規則第6条に沿うようですが、ここでは割愛。
ミニFMは、当時、深夜ラジオブームがあり、更に免許なしで、自分で放送できるということもあり、70年代にカルト的なブームを生みます。ちなみにミニFMブームを題材にした映画として、『波の数ほど抱きしめて』(1991年東宝の作品。中山美穂・織田裕二主演)があります。ちなみに、この映画の設定は1983年という設定です。このあたりまでがミニFMブームと言えるでしょうか。
しかし、80年代後半ともなると深夜ラジオブームも下火になり、更に、90年代後半には、PCが普及されることによって、自分で作ることができる放送として、インターネットラジオというメディアが台頭します。ちなみに現在は映像も流せる時代でしたが、まだ90年代後半は、ネット環境が今ほど恵まれていないため、映像流すなんてはるか先のことと思われていた時代なので、音声のみのネットラジオが誕生し、それが、ミニFMに代わるメディアとなっていきます。
正直、今でもミニFMDJに対する憧れはあるんです。電波から放送を聞いてもらうなんて、普通にはない快感ですからね。しかし、時代が、それをやらせてくれなかったんですね。仕方なく、海鹿島海斗も2001年よりインターネットラジオに参入することになります。インターネットラジオをやっているときに特にこだわっていたのが、インディーズミュージシャンとのパイプでした。今以上にネット配信の著作権に関して厳しい時代でもあったので、JASRACの曲が一切流せずにいたので、音楽番組をやりたい海鹿島海斗にとっては、インディーズミュージシャンとのパイプは非常に大事でした。
そうして、インターネットラジオで長年やっていると、ご褒美というものがもらえるのでしょうか、ついに免許がある放送局で喋る事ができるようになりました。3か月だけですが、浦安市のコミュニティFM局であります、FMうらやすさんでレギュラー番組をやっていました。これで、正直、やりたいことはほとんどなくなっておりました。
しかし、それではいけないと思い、インターネットテレビについて勉強しようと、昨年、お金を払って、月一で、Office Stray Catさんで番組を作ってもらいました。ちなみにこのOffice Stray Catさんは、ミニFM局さんや、コミュニティ局さんに機材を提供及び技術提供もしてくれる会社で、いろいろアドバイスをいただきました。
そして、今度は自分で番組を作るぞ!意気込んでいたら、急に電話が・・・それは作家で、オカルト研究家の山口敏太郎先生でした。話を聞くと銚子で番組を作ってもらいたいということだった。それが現在放送している【銚子スポーツTV】です。正直、音声放送しかしていなかった人間なので、Office Stray Catさんで勉強したことがこういうことで生きるとは思いもしませんでした。
そんなこんなで、山口敏太郎プロデュース【銚子スポーツTV】銚子のあらゆる不思議を取り扱います!毎週土曜日14時から、銚子市中央町6-25『大内かっぱハウス』から公開生放送!ニコニコ生放送『山口敏太郎タートルカンパニーチャンネル』から生配信しております。是非ご覧ください!
https://choshi-sports-tv.ashikajima.com/
ここで、ミニFMというメディアについて説明しますね。電波法第4条によると「無線局を開設しようとする者は、総務大臣の免許を受けなければならない。」と書かれていますが、例外も示しております。そのうちの一つの項によると「発射する電波が著しく微弱な無線局で総務省令で定めるもの」としております。この電波を使って、免許なしで放送するラジオ局のことをミニFMといいます。微弱な電波について具体的な指針としては、電波法施行規則第6条に沿うようですが、ここでは割愛。
ミニFMは、当時、深夜ラジオブームがあり、更に免許なしで、自分で放送できるということもあり、70年代にカルト的なブームを生みます。ちなみにミニFMブームを題材にした映画として、『波の数ほど抱きしめて』(1991年東宝の作品。中山美穂・織田裕二主演)があります。ちなみに、この映画の設定は1983年という設定です。このあたりまでがミニFMブームと言えるでしょうか。
しかし、80年代後半ともなると深夜ラジオブームも下火になり、更に、90年代後半には、PCが普及されることによって、自分で作ることができる放送として、インターネットラジオというメディアが台頭します。ちなみに現在は映像も流せる時代でしたが、まだ90年代後半は、ネット環境が今ほど恵まれていないため、映像流すなんてはるか先のことと思われていた時代なので、音声のみのネットラジオが誕生し、それが、ミニFMに代わるメディアとなっていきます。
正直、今でもミニFMDJに対する憧れはあるんです。電波から放送を聞いてもらうなんて、普通にはない快感ですからね。しかし、時代が、それをやらせてくれなかったんですね。仕方なく、海鹿島海斗も2001年よりインターネットラジオに参入することになります。インターネットラジオをやっているときに特にこだわっていたのが、インディーズミュージシャンとのパイプでした。今以上にネット配信の著作権に関して厳しい時代でもあったので、JASRACの曲が一切流せずにいたので、音楽番組をやりたい海鹿島海斗にとっては、インディーズミュージシャンとのパイプは非常に大事でした。
そうして、インターネットラジオで長年やっていると、ご褒美というものがもらえるのでしょうか、ついに免許がある放送局で喋る事ができるようになりました。3か月だけですが、浦安市のコミュニティFM局であります、FMうらやすさんでレギュラー番組をやっていました。これで、正直、やりたいことはほとんどなくなっておりました。
しかし、それではいけないと思い、インターネットテレビについて勉強しようと、昨年、お金を払って、月一で、Office Stray Catさんで番組を作ってもらいました。ちなみにこのOffice Stray Catさんは、ミニFM局さんや、コミュニティ局さんに機材を提供及び技術提供もしてくれる会社で、いろいろアドバイスをいただきました。
そして、今度は自分で番組を作るぞ!意気込んでいたら、急に電話が・・・それは作家で、オカルト研究家の山口敏太郎先生でした。話を聞くと銚子で番組を作ってもらいたいということだった。それが現在放送している【銚子スポーツTV】です。正直、音声放送しかしていなかった人間なので、Office Stray Catさんで勉強したことがこういうことで生きるとは思いもしませんでした。
そんなこんなで、山口敏太郎プロデュース【銚子スポーツTV】銚子のあらゆる不思議を取り扱います!毎週土曜日14時から、銚子市中央町6-25『大内かっぱハウス』から公開生放送!ニコニコ生放送『山口敏太郎タートルカンパニーチャンネル』から生配信しております。是非ご覧ください!
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