我孫子市市制50周年を記念し、名誉市民にプロゴルファー青木功 氏、作家上橋菜穂子 氏
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2020/4/13
以下は 4 年前に書かれた内容です
我孫子市は、市制施行50周年を記念して、青木功氏(プロゴルファー)と上橋菜穂子氏(作家)を新たな名誉市民とした、と発表しました。
これまでの名誉市民は、平成2年の市制施行20周年記念に、鈴木和喜氏(初代市長)、渡辺藤正氏(2代目市長)、加瀬完氏(第14代参議院副議長)の政治家3氏。今回は、スポーツ・文化分野で民間から初めての名誉市民となります。
これまでの名誉市民は、平成2年の市制施行20周年記念に、鈴木和喜氏(初代市長)、渡辺藤正氏(2代目市長)、加瀬完氏(第14代参議院副議長)の政治家3氏。今回は、スポーツ・文化分野で民間から初めての名誉市民となります。
【青木功 氏プロフィール】昭和17年(1942年)生まれ77歳
昭和33年我孫子市立我孫子中学校卒業、昭和39年プロテスト合格、平成16年世界ゴルフ殿堂入り、平成20年紫綬褒章受章、平成25年日本プロゴルフ殿堂入り、平成27年旭日小綬章受賞、平成28年一般社団法人日本ゴルフツアー機構会長就任
本市との関わりでは、昭和58年、市民スポーツ文化栄誉章を受章、平成29年には、我孫子市ふるさと大使へ就任。
◆コメント
「我孫子市名誉市民の称号を頂き身に余る光栄に思います。我孫子で生まれ育ち先に逝きました両親もさぞ喜んでいることでしょう。我孫子市民として恥じない人生をこれからも生きて行きたいと思います。この度は誠にありがとうございます。」
昭和33年我孫子市立我孫子中学校卒業、昭和39年プロテスト合格、平成16年世界ゴルフ殿堂入り、平成20年紫綬褒章受章、平成25年日本プロゴルフ殿堂入り、平成27年旭日小綬章受賞、平成28年一般社団法人日本ゴルフツアー機構会長就任
本市との関わりでは、昭和58年、市民スポーツ文化栄誉章を受章、平成29年には、我孫子市ふるさと大使へ就任。
◆コメント
「我孫子市名誉市民の称号を頂き身に余る光栄に思います。我孫子で生まれ育ち先に逝きました両親もさぞ喜んでいることでしょう。我孫子市民として恥じない人生をこれからも生きて行きたいと思います。この度は誠にありがとうございます。」
【上橋菜穂子 氏プロフィール】昭和37年(1962年)生まれ57歳
1962年7月15日東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業後、1993年同大学院博士課程単位取得(文学博士)。専門は文化人類学。現在は川村学園女子大学特任教授。1989年『精霊の木』で作家デビュー。主な著書に『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』『獣の奏者』『鹿の王』などがある。「守り人」シリーズでは路傍の石文学賞、巌谷小波文芸賞、野間児童文芸賞など多数受賞。英語版ではアメリカ図書館協会バチェルダー賞も受賞している。『狐笛のかなた』では野間児童文芸賞受賞。『鹿の王』では本屋大賞、日本医療小説大賞を受賞。2014年には国際アンデルセン賞作家賞を受賞し、2020年、『獣の奏者』の英語版で、プリンツ賞オナーと、バチェルダー賞をW受賞。プリンツ賞オナーの受賞は日本人作家としては初となる。
◆コメント
「大好きな我孫子市の名誉市民に選んでいただき、本当に光栄でございます。どうもありがとうございます。川村学園女子大学で教職に就き、我孫子に移り住んだとき、ここはなんと明るい土地なのだろう、と驚きました。様々な鳥が歌い、蛙の大合唱が聞こえる明るい我孫子で、私は、大学で教えながら、いくつもの物語を書くことができました。
『獣の奏者』や『鹿の王』を書いていた頃、物語が滞ると、手賀沼の遊歩道を歩いて、水辺の静かな明るさに力をもらっていたものです。
我孫子には、物語を育む力があるような気がします。これからも、この地から多くの物語が生まれでることを願っております。」
1962年7月15日東京都生まれ。立教大学文学部史学科卒業後、1993年同大学院博士課程単位取得(文学博士)。専門は文化人類学。現在は川村学園女子大学特任教授。1989年『精霊の木』で作家デビュー。主な著書に『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』『獣の奏者』『鹿の王』などがある。「守り人」シリーズでは路傍の石文学賞、巌谷小波文芸賞、野間児童文芸賞など多数受賞。英語版ではアメリカ図書館協会バチェルダー賞も受賞している。『狐笛のかなた』では野間児童文芸賞受賞。『鹿の王』では本屋大賞、日本医療小説大賞を受賞。2014年には国際アンデルセン賞作家賞を受賞し、2020年、『獣の奏者』の英語版で、プリンツ賞オナーと、バチェルダー賞をW受賞。プリンツ賞オナーの受賞は日本人作家としては初となる。
◆コメント
「大好きな我孫子市の名誉市民に選んでいただき、本当に光栄でございます。どうもありがとうございます。川村学園女子大学で教職に就き、我孫子に移り住んだとき、ここはなんと明るい土地なのだろう、と驚きました。様々な鳥が歌い、蛙の大合唱が聞こえる明るい我孫子で、私は、大学で教えながら、いくつもの物語を書くことができました。
『獣の奏者』や『鹿の王』を書いていた頃、物語が滞ると、手賀沼の遊歩道を歩いて、水辺の静かな明るさに力をもらっていたものです。
我孫子には、物語を育む力があるような気がします。これからも、この地から多くの物語が生まれでることを願っております。」
以上は 4 年前に書かれた内容です