ちばとぴ!タウン
ちばとぴ!タウン

成田の周辺に存在した鉄道に迫った本が出版

  2975
  2022/8/16
シェア ポスト 送る
以下は 2 年前に書かれた内容です

 日本の空の玄関、成田空港。周辺には物流施設やホテルなど多くの空港関連施設が並び、地域経済を支えている。三里塚地区には空港ができる以前、皇室用の馬や農畜産物の生産を行う御料牧場があり、周辺の物流や旅客の移動を担う軽便鉄道も走っていた。このほど、この歴史を後世に伝えるために『変遷「宮内庁下総御料牧場と千葉県営鉄道(軽便)多古・八街線」~昭和に消えた二つの歴史~(山本順子著、千葉日報社刊)』が刊行された。
 同書で1章は御料牧場、2章は千葉県営鉄道について書かれている。鉄道部では、2章について触れる。
 御料牧場の近くを走っていた千葉県営鉄道八街線と多古線の成り立ちを千葉における軽便鉄道敷設の歴史から説明している。当時、千葉県内の交通事情は悪く、少ない資本で敷設できる軽便鉄道の利点が重宝され、当時の県知事、有吉忠一の提唱により、県内各地に敷設された。これには習志野や千葉市にあった鉄道連隊が関わった。鉄道連隊は戦地において鉄道の敷設・補修・運転・破壊に従事した部隊で、トラックや飛行機がない時代、人員や物資の輸送を支える重要な役割を担っていた。鉄道連隊は、県から演習場所を提供され、線路を敷設し、運営も担うことで県内に軽便鉄道網が広がっていった。京成津田沼と松戸を結ぶ新京成の路線も、もともとは鉄道連隊の演習線で現在では県西部を縦断する地域の足となっている。かつては千葉市から八街を経由し三里塚までの長距離演習線も敷設していたというから驚きだ。この路線の八街から三里塚まではのちに八街線となる。
74720220818093035.jpg
『変遷「宮内庁下総御料牧場と千葉県営鉄道(軽便)多古・八街線」~昭和に消えた二つの歴史~』の1ページ。当時の鉄道の様子を伝える貴重な写真が掲載されている
 多古線、八街線の項目では建設の経緯から廃線のまで歴史はもちろん、廃線後の状況までもが詳しく書かれている。小型で非力な軽便鉄道ゆえに 上り坂に弱く、乗客が降りて客車を押して助けたというエピソードも書かれていて、当時の運行の苦労がうかがえる。多古線には貴賓車が1台あり、下総御料牧場に訪問された際に、親王時代の昭和天皇、秩父宮、高松宮ら皇族が乗車したという記録も残る。JRや近鉄のように貴賓車があったというから、鉄道趣味的に大変興味深い。また線路の軌間1067ミリへの改軌後には、御料牧場への花見客輸送のため、上野・両国から直通列車が走っていたことにも驚かされる。一方の八街線は、いまは鉄道の走っていない富里を通っていた。仮にこの鉄道が現存していれば、千葉県内に鉄道の走っていない市がないことになる。ちなみに当時の富里は競走馬の産地で輸送に鉄道は欠かせない存在だった。また廃止時は日本最後の600ミリ軌間の路線であったことも特筆される。
 当時走っていたガソリンカーやB型ディーゼル機関車、木造客車などの貴重な写真が多く掲載されている。多古線では各駅の写真も取り上げられていて、当時の様子をうかがい知ることもできる。廃線後の変遷も掲載され、当時の様子を今に伝える貴重な資料だ。
 本書に関する問い合わせは山本さんjun.yamamoto@jcom.zaq.ne.jpまで。
以上は 2 年前に書かれた内容です
ちばとぴ!鉄道部
ちばとぴ!鉄道部
千葉県内とその周辺の鉄道のネタを取り上げていきます。 基本は乗り鉄で現地に行きます。 模型鉄にも手を広げていきたい。
プロフィールや他の投稿を見る
このニュース記事をお気に入り登録:

シェア ポスト 送る

"鉄道"使った新たな遊び創出 銚子電鉄が新たな挑戦! 位置情報ゲームで全国の路線盛り上げ 


2024/5/9    608

幕張豊砂に似ている駅へ


2023/5/3    1867

写真でわかる  ダイヤ改正でなくなる列車


2023/3/15    4261

懐かしの久留里線、木原線を模型で再現


2023/2/28    2299

他のニュース記事

旬のウニが千葉で食べられる! 炭火で楽しむ「ウニ奉行 フレスポ稲毛店」期間限定で出店

2024/8/10    2084

ロッテ ファームユニホームを採用。吉井監督「ピンストライプのユニホームに重みを出す」

2024/1/31    1276

ロッテ福浦選手200万円人形を8・24から発売。話題に

2019/8/23    1899