さらば 銚子電気鉄道1000形
2025/1/17
銚子電気鉄道(以下、銚子電鉄)1000形は1994年6月下旬に登場してから、30年後の2024年に完全引退した。その歴史を紐解いてみよう。
第3軌条から架空電車線にコンバート
営団地下鉄(現・東京メトロ)銀座線及び丸ノ内線分岐線用の2000形が1987年2月17日(火曜日)から廃車が始まると、大半が解体される中、一部は1991年から1997年まで日立電鉄に移籍した(2005年4月1日〔金曜日〕付で廃止)。日本の電車では初めて、第3軌条用から、一般的な架空電車線車両に改造された。ちなみに第3軌条というのは、線路脇に敷設したレールのことで、直流600ボルトもしくは750ボルトの電流を流し、一部の台車に装荷した集電靴で集電して走行する(銀座線、丸ノ内線は直流600ボルト)。
また、一部は片運転台車両から両運転台車両に改造され、別の車両の“「お面」という名の運転台部分”を接合することで、単行運転に備えた。さらに走行機器類(台車、パンタグラフ、主電動機など)は日比谷線3000系の廃車発生品が流用された。
その第2弾として、2両が銚子電鉄に移籍することになった。日立電鉄の移籍車と同じ京王重機で改造され、両運転台化、ワンマン運転化、補助電源装置の新設、屋根の補強、歩み板、避雷器の取りつけなどが行なわれた。
パンタグラフと主電動機は営団地下鉄3000系の廃車発生品を使用、台車も富士急行(現在はグループ企業の富士山麓電気鉄道に移管)5700形(元小田急電鉄2300形)の廃車発生品に履き替えた。また、日立電鉄の移籍車と同様、冷房装置の搭載はない。
カラーリングも黒の褐色と赤のツートン。赤の部分に金の縁取りがつくという、シックな雰囲気となり、装いを新たにした。「1000形」と命名され、車両番号はデハ1001(改造種車は2046、反対側の運転台部分は2033)、デハ1002(改造種車は2040、反対側の運転台部分は2039)で、1994年6月下旬に搬入され、8月15日(月曜日)に竣工した。ちなみに「デ」は電動車、「ハ」は普通車をさす。
8月29日(月曜日)に犬吠駅で発車式が行なわれ、招待客を乗せて笠上黒生まで運行し、9月から一般列車として営業運転に就く。当初は車掌も乗務していたが、1995年4月1日(土曜日)からワンマン運転に移行した。
1000形は単行運転が基本のため、車両と車両のあいだを電気的に接続するジャンパ連結器、もしくは電気連結器が装備されておらず、2両運転の際はそれぞれの車両に運転士が乗り、協調運転を行なう。
また、一部は片運転台車両から両運転台車両に改造され、別の車両の“「お面」という名の運転台部分”を接合することで、単行運転に備えた。さらに走行機器類(台車、パンタグラフ、主電動機など)は日比谷線3000系の廃車発生品が流用された。
その第2弾として、2両が銚子電鉄に移籍することになった。日立電鉄の移籍車と同じ京王重機で改造され、両運転台化、ワンマン運転化、補助電源装置の新設、屋根の補強、歩み板、避雷器の取りつけなどが行なわれた。
パンタグラフと主電動機は営団地下鉄3000系の廃車発生品を使用、台車も富士急行(現在はグループ企業の富士山麓電気鉄道に移管)5700形(元小田急電鉄2300形)の廃車発生品に履き替えた。また、日立電鉄の移籍車と同様、冷房装置の搭載はない。
カラーリングも黒の褐色と赤のツートン。赤の部分に金の縁取りがつくという、シックな雰囲気となり、装いを新たにした。「1000形」と命名され、車両番号はデハ1001(改造種車は2046、反対側の運転台部分は2033)、デハ1002(改造種車は2040、反対側の運転台部分は2039)で、1994年6月下旬に搬入され、8月15日(月曜日)に竣工した。ちなみに「デ」は電動車、「ハ」は普通車をさす。
8月29日(月曜日)に犬吠駅で発車式が行なわれ、招待客を乗せて笠上黒生まで運行し、9月から一般列車として営業運転に就く。当初は車掌も乗務していたが、1995年4月1日(土曜日)からワンマン運転に移行した。
1000形は単行運転が基本のため、車両と車両のあいだを電気的に接続するジャンパ連結器、もしくは電気連結器が装備されておらず、2両運転の際はそれぞれの車両に運転士が乗り、協調運転を行なう。
1000形フォーエヴァー
1000形は別々のカラーリングに装いを変えたあと、2011年にデハ1002を丸ノ内線分岐線カラー、2012年にデハ1001を銀座線カラーに塗装変更。往年の営団地下鉄カラーリターンズで、レールファンの注目を集める。銚子電鉄にとっては、“エンタメ鉄道”としての第1歩と言えよう。
しかし、寄る年波になんとやらで、デハ1002は2015年1月10日(土曜日)に営業運転を終了し、1月11日(日曜日)付で廃車。併せて、“「機械扱い」という名の事業用車”に転用され、まだまだ走ることになった。その際、線路付近で伸びた枝を切るため、屋根にやぐらを載せた。安全運行を陰で支える“裏方”として、余生を過ごす。
一方、デハ1001は2016年2月28日(日曜日)に営業運転を終了し、1000形が引退。特に引退直前には屋根部分を赤茶色に変え、1960年新製時の姿に復刻して有終の美を飾った。3月24日(木曜日)付で廃車されると、昭和の杜博物館に移籍し、静態保存及び展示物として新たな道を歩む。
しかし、寄る年波になんとやらで、デハ1002は2015年1月10日(土曜日)に営業運転を終了し、1月11日(日曜日)付で廃車。併せて、“「機械扱い」という名の事業用車”に転用され、まだまだ走ることになった。その際、線路付近で伸びた枝を切るため、屋根にやぐらを載せた。安全運行を陰で支える“裏方”として、余生を過ごす。
一方、デハ1001は2016年2月28日(日曜日)に営業運転を終了し、1000形が引退。特に引退直前には屋根部分を赤茶色に変え、1960年新製時の姿に復刻して有終の美を飾った。3月24日(木曜日)付で廃車されると、昭和の杜博物館に移籍し、静態保存及び展示物として新たな道を歩む。
さらば 1000形-デハ1002も保存の道へ-
デハ1002は事業用車の役目を終え、笠上黒生で“後輩”の活躍を見届けた。
先述したとおり、デハ1002は事業用車として余生を過ごす。カラーリングは丸ノ内線分岐線用のままで、再塗装もされていない。さらに海沿いを通るゆえ、塩害をもろに受けてしまう。2024年3月19日(火曜日)、仲ノ町車庫で22000形シニアモーターカーを取材した際、ボロボロの姿に愕然(がくぜん)して、撮影をためらうほど。
2024年10月1日(火曜日)、ついにデハ1002が笠上黒生駅構内に留置。フロントガラスや一部の乗降用ドア窓はブルーシート、尾灯(後部標識灯)はガムテープでそれぞれ覆われ、ボロボロのボディーと相まって、痛々しい。上り線側の車輪に手歯止めが置かれ、外川方は赤色、銚子方は白色を配した。営団地下鉄時代からの労をねぎらうかの如く、丸ノ内線を連想させる銚子電鉄らしいシャレた演出で、最期を迎えるものと思われた。
12月25日(水曜日)に住み慣れた銚子電鉄を離れ、地下鉄電車保存会が運営する首都圏電車区に移る。ただ、デハ1002再生への道のりは「剣が峰」と言ってよい。
なお、デハ1002事業用車の後釜は、2023年に中古購入した高所作業車を使用する。
【取材協力:銚子電気鉄道、東京地下鉄、地下鉄博物館】
※都合により、後日写真を2枚追加する予定です。
2024年10月1日(火曜日)、ついにデハ1002が笠上黒生駅構内に留置。フロントガラスや一部の乗降用ドア窓はブルーシート、尾灯(後部標識灯)はガムテープでそれぞれ覆われ、ボロボロのボディーと相まって、痛々しい。上り線側の車輪に手歯止めが置かれ、外川方は赤色、銚子方は白色を配した。営団地下鉄時代からの労をねぎらうかの如く、丸ノ内線を連想させる銚子電鉄らしいシャレた演出で、最期を迎えるものと思われた。
12月25日(水曜日)に住み慣れた銚子電鉄を離れ、地下鉄電車保存会が運営する首都圏電車区に移る。ただ、デハ1002再生への道のりは「剣が峰」と言ってよい。
なお、デハ1002事業用車の後釜は、2023年に中古購入した高所作業車を使用する。
【取材協力:銚子電気鉄道、東京地下鉄、地下鉄博物館】
※都合により、後日写真を2枚追加する予定です。
岸田法眼の鉄道チャンネル
『Yahoo! セカンドライフ』(ヤフー刊)の選抜サポーターに抜擢され、2007年にライターデビュー。以降はフリーのレイルウェイ・ライターとして鉄...
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