2か月連続!! 京成線ミステリーツアー
2021/5/26
以下は 3 年前に書かれた内容です
京成トラベルサービスは、京成電鉄の後援で、2021年5月22日(土曜日)に2か月連続の「京成線ミステリーツアー」を開催した。宗吾車両基地を出発し、八千代台へ向かうもので、“車両や行程は当日のお・た・の・し・み”。万全盤石の感染防止対策を行ない、参加者らは約2時間15分のミニトリップを楽しんだ。
レジェンドの御尊顔を拝す
初代AE形は塗装変更時の姿で静態保存されている。
宗吾車両基地は、本線の宗吾参道駅が最寄りで、車庫と工場施設を併せ持つ。参加者とメディアは正門付近で検温と手指消毒後、受付を済ませる。
今回、参加者の定員は当初179人を設定していたが、募集したところ応募者数366人のため、抽選で170人が当選(倍率2.2倍)。前回は若干の欠席者が発生したが、今回は全員が参加した。
正門付近には「社内遺産」と銘打ち、初代AE形、AE100形、初代3000形、モハ200形、27-MCB-2型台車が静態保存されている。いわば実質の“京成電鉄ミュージアム”で、参加者とメディアはカメラやスマートフォンのシャッターを切りまくる。
今回の「京成線ミステリーツアー」の車両は、2代目3100形が起用された。京成電鉄と新京成電鉄が共同開発した車両で、2019年に登場。車内はハイバック式のロングシートを採用し、坐り心地の向上を図った。さらに、シャープの空気清浄機、プラズマクラスターを採り入れ、快適性の向上を図っている。
成田空港線(成田スカイアクセス線)経由のアクセス特急を中心に運行されることから、各車両の先頭車3か所、中間車4か所に大型荷物用の跳ね上げ式荷物スペースを設けた。床に金具を敷くことで、キャリーバッグなどのタイヤが誤って通路に転がらないようにしている。また、混雑時などは座面を下ろし、着席することもできる。
今回の「京成線ミステリーツアー」は、1~7号車を参加者の指定席、8号車を関係者用とした。8号車の京成成田寄り車端部には“仕切り”として、のれんが使われた。かつて、通勤形電車の一角を行商専用車に充てていたという。
なお、新京成電鉄は「80000形」として登場。エクステリア、インテリアのデザインが異なるほか、荷物スペースを設けていない。
今回、参加者の定員は当初179人を設定していたが、募集したところ応募者数366人のため、抽選で170人が当選(倍率2.2倍)。前回は若干の欠席者が発生したが、今回は全員が参加した。
正門付近には「社内遺産」と銘打ち、初代AE形、AE100形、初代3000形、モハ200形、27-MCB-2型台車が静態保存されている。いわば実質の“京成電鉄ミュージアム”で、参加者とメディアはカメラやスマートフォンのシャッターを切りまくる。
今回の「京成線ミステリーツアー」の車両は、2代目3100形が起用された。京成電鉄と新京成電鉄が共同開発した車両で、2019年に登場。車内はハイバック式のロングシートを採用し、坐り心地の向上を図った。さらに、シャープの空気清浄機、プラズマクラスターを採り入れ、快適性の向上を図っている。
成田空港線(成田スカイアクセス線)経由のアクセス特急を中心に運行されることから、各車両の先頭車3か所、中間車4か所に大型荷物用の跳ね上げ式荷物スペースを設けた。床に金具を敷くことで、キャリーバッグなどのタイヤが誤って通路に転がらないようにしている。また、混雑時などは座面を下ろし、着席することもできる。
今回の「京成線ミステリーツアー」は、1~7号車を参加者の指定席、8号車を関係者用とした。8号車の京成成田寄り車端部には“仕切り”として、のれんが使われた。かつて、通勤形電車の一角を行商専用車に充てていたという。
なお、新京成電鉄は「80000形」として登場。エクステリア、インテリアのデザインが異なるほか、荷物スペースを設けていない。
まずは本線へ
宗吾車両基地を発車。
参加者、メディア、関係者が乗車後、9時58分に発車。2度の一旦停止を経て、本線に合流する。前回は2代目AE形が営業列車初の千原線に入線したので、今回も“当該車両の営業列車、未踏の地”へ向かうことが期待できよう。
宗吾参道を10時09分に発車すると、本線の下りに入る。10時15分、京成成田を通過すると、地平からいきなり高架に変わる。地形の関係で、駅舎とホームが崖の上に建設されたからだ。ほぼ隣接するJR東日本の成田線成田駅は駅舎が崖の上、ホームが崖の下にある。
さて、京成成田―駒井野分岐点間6.0キロは、本線と東成田線が同じ線路を走る。やがて高架から切土(斜面の土を切り出すこと)に変わると、直線区間が多いこともあり、スピードも上がってゆく。それを強調するのが、新型コロナウイルス感染防止対策として、側窓を開けていることだ。これにより、ダイナミックな走行音が車内によく響く。
自然の原風景の車窓を眺めていると、“この先、本当に成田国際空港があるの?”と実感がわかない人もいるのではないだろうか。
宗吾参道を10時09分に発車すると、本線の下りに入る。10時15分、京成成田を通過すると、地平からいきなり高架に変わる。地形の関係で、駅舎とホームが崖の上に建設されたからだ。ほぼ隣接するJR東日本の成田線成田駅は駅舎が崖の上、ホームが崖の下にある。
さて、京成成田―駒井野分岐点間6.0キロは、本線と東成田線が同じ線路を走る。やがて高架から切土(斜面の土を切り出すこと)に変わると、直線区間が多いこともあり、スピードも上がってゆく。それを強調するのが、新型コロナウイルス感染防止対策として、側窓を開けていることだ。これにより、ダイナミックな走行音が車内によく響く。
自然の原風景の車窓を眺めていると、“この先、本当に成田国際空港があるの?”と実感がわかない人もいるのではないだろうか。
地下トンネルへ
駒井野分岐点を通過し、地下トンネルへ。
駒井野分岐点を通過すると、「京成線ミステリーツアー」は、ほぼ直線の右側へ針路をとり、地下トンネルへ。そこは東成田線で、詳細はのちほど述べさせていただく。
一方、左側は本線で、急曲線のため減速を余儀なくされる。地下トンネルに入ると、成田空港線、JR東日本成田線の空港支線と合流し、空港第2ビルに到着する。
駒井野分岐点から1キロ先の東成田1番線で運転停車(客扱いを行なわない停車で、通過扱いとなる)し、各駅停車京成成田行きと行き違う。日中は40分間隔で、1編成が行ったり来たり。6両で運転されているが、ガラガラ。その隣には、1991年3月18日(火曜日)をもって役目を終えたホームがあり、閑散と暗さも相まって哀愁が漂う。
一方、左側は本線で、急曲線のため減速を余儀なくされる。地下トンネルに入ると、成田空港線、JR東日本成田線の空港支線と合流し、空港第2ビルに到着する。
駒井野分岐点から1キロ先の東成田1番線で運転停車(客扱いを行なわない停車で、通過扱いとなる)し、各駅停車京成成田行きと行き違う。日中は40分間隔で、1編成が行ったり来たり。6両で運転されているが、ガラガラ。その隣には、1991年3月18日(火曜日)をもって役目を終えたホームがあり、閑散と暗さも相まって哀愁が漂う。
地下トンネルを出ると、そこは終着駅だった
地下トンネルを抜けたら……
東成田を発車すると、ここから単線となり、芝山鉄道(路線名は芝山鉄道線)に入る。ほどなく、地下トンネル内で京成電鉄とJR東日本の空港第2ビル―成田空港間と交差する。
東成田を発車して、約1.3キロ走行すると、地上へ。進行方向右側は成田国際空港で、車窓からヒコーキを間近で見ることができる。ヒコーキファンにとっては“絶景撮影地”といえそうだ。ただ、ここは成田市ではなく、山武郡(さんぶぐん)芝山町(しばやままち)だ。
「皆様、ただいま芝山千代田駅に到着します。
皆様が御乗車いただいている3100形は、通常、成田スカイアクセス線を走行している列車で、芝山鉄道線に入線することはなく、今回、初めてお客様を乗せて入線しました。
つまり、今回御乗車いただいたお客様が、“初めて3100形で芝山鉄道線に入線したお客様”ということになります。おめでとうございます」
芝山千代田が近づくと、京成トラベルサービスの車内放送が入る。2代目3100形は営業列車では初めて、芝山鉄道及び芝山町に足を踏み入れた。線路は芝山千代田で途切れる。
当初、芝山千代田で折り返す際、乗降用ドアは開かず、車内で眺めたのち、折り返す予定だったが、急きょ降車できることになった。ただし、改札を通り抜けることができない。
10時24分、乗降用ドアが開く。ホームでは各駅停車京成成田行きの入線を待つ乗客がおり、おそらく“寝耳に水”の展開だと思う。ホーム有効長は8両編成分を確保しており、ホームの両端5メートル分を立入禁止としている。おそらく、先頭車の御尊顔を拝すため、参加者の大集結が目に見えているのだろう。
東成田を発車して、約1.3キロ走行すると、地上へ。進行方向右側は成田国際空港で、車窓からヒコーキを間近で見ることができる。ヒコーキファンにとっては“絶景撮影地”といえそうだ。ただ、ここは成田市ではなく、山武郡(さんぶぐん)芝山町(しばやままち)だ。
「皆様、ただいま芝山千代田駅に到着します。
皆様が御乗車いただいている3100形は、通常、成田スカイアクセス線を走行している列車で、芝山鉄道線に入線することはなく、今回、初めてお客様を乗せて入線しました。
つまり、今回御乗車いただいたお客様が、“初めて3100形で芝山鉄道線に入線したお客様”ということになります。おめでとうございます」
芝山千代田が近づくと、京成トラベルサービスの車内放送が入る。2代目3100形は営業列車では初めて、芝山鉄道及び芝山町に足を踏み入れた。線路は芝山千代田で途切れる。
当初、芝山千代田で折り返す際、乗降用ドアは開かず、車内で眺めたのち、折り返す予定だったが、急きょ降車できることになった。ただし、改札を通り抜けることができない。
10時24分、乗降用ドアが開く。ホームでは各駅停車京成成田行きの入線を待つ乗客がおり、おそらく“寝耳に水”の展開だと思う。ホーム有効長は8両編成分を確保しており、ホームの両端5メートル分を立入禁止としている。おそらく、先頭車の御尊顔を拝すため、参加者の大集結が目に見えているのだろう。
波瀾万丈の芝山鉄道
芝山千代田はホームの幅が狭いため、安全対策に万全を期した。
芝山鉄道が建設されるきっかけとなったのは、1966年7月4日(月曜日)、新東京国際空港(現・成田国際空港)の建設予定地が成田市三里塚に決定したことによる。これには隣接する芝山町も難色を示した。新東京国際空港の工事が始まると、周辺各地への往来が不便になってしまうからだ。
新東京国際空港の開港が近づきつつある1977年3月9日(水曜日)、芝山町が運輸省(現・国土交通省)に鉄道敷設の要望書を提出。検討の末、運輸省は11月16日(水曜日)、鉄道の建設を約束した。すると、1978年5月20日(土曜日)の開港から3年たった1981年5月1日(金曜日)、新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社。以下、空港公団)、千葉県、芝山町、日本航空などが出資した第3セクター方式の芝山鉄道を設立した。
設立から7年たった1988年6月24日(金曜日)、芝鉄成田空港(現在の東成田駅に隣接)―整備場前(現・芝山千代田)間の第1種鉄道事業免許(おもに自社が鉄道線路を敷設し、運送を行なうこと)を取得した。まずは新東京国際空港公団が地下トンネルの掘削工事を行なうも、地権者が用地買収に応じず、1991年に848メートル地点で中断を余儀なくされる。
その後も、新東京国際空港の横風用滑走路建設のメドが立たず、地下トンネルが掘削できない。地権者が用地買収に反対するなど、着工に至らない。建設用地の全面確保に至らないまま、1998年1月22日(木曜日)に起工式を実施し、工事を再開した。しかし、一坪共有地(363平方メートル)の一部地権者が反対を貫き通し、ルート変更を余儀なくされる。
2002年、東成田―芝山千代田間2.2キロがついに完成し、7月3日(水曜日)より試運転を開始。10月27日(日曜日)に開業した。計画当初は小型車両による運行を予定していたが、その後、京成電鉄と同じ規格に変更。さらに京成電鉄と相互直通運転する運びになった。車両は京成電鉄の3500形1編成リースしている。
新東京国際空港の開港が近づきつつある1977年3月9日(水曜日)、芝山町が運輸省(現・国土交通省)に鉄道敷設の要望書を提出。検討の末、運輸省は11月16日(水曜日)、鉄道の建設を約束した。すると、1978年5月20日(土曜日)の開港から3年たった1981年5月1日(金曜日)、新東京国際空港公団(現・成田国際空港株式会社。以下、空港公団)、千葉県、芝山町、日本航空などが出資した第3セクター方式の芝山鉄道を設立した。
設立から7年たった1988年6月24日(金曜日)、芝鉄成田空港(現在の東成田駅に隣接)―整備場前(現・芝山千代田)間の第1種鉄道事業免許(おもに自社が鉄道線路を敷設し、運送を行なうこと)を取得した。まずは新東京国際空港公団が地下トンネルの掘削工事を行なうも、地権者が用地買収に応じず、1991年に848メートル地点で中断を余儀なくされる。
その後も、新東京国際空港の横風用滑走路建設のメドが立たず、地下トンネルが掘削できない。地権者が用地買収に反対するなど、着工に至らない。建設用地の全面確保に至らないまま、1998年1月22日(木曜日)に起工式を実施し、工事を再開した。しかし、一坪共有地(363平方メートル)の一部地権者が反対を貫き通し、ルート変更を余儀なくされる。
2002年、東成田―芝山千代田間2.2キロがついに完成し、7月3日(水曜日)より試運転を開始。10月27日(日曜日)に開業した。計画当初は小型車両による運行を予定していたが、その後、京成電鉄と同じ規格に変更。さらに京成電鉄と相互直通運転する運びになった。車両は京成電鉄の3500形1編成リースしている。
波瀾万丈の東成田駅
デジタル方向幕は一旦「臨時」から「回送」へ。
「京成線ミステリーツアー」は芝山千代田を10時34分に発車。3分後の10時37分、東成田2番線に到着すると、参加者らが全員下車。2代目3100形は回送列車として、京成成田に向かった。これもミステリーツアーならではのサプライズだと思う。
改札を出ると、京成電鉄、京成トラベルサービス、芝山鉄道によるオリジナルグッズの販売、抽選会の実施が行なわれる。そして、この駅最大の目玉は、“秘境”と化した旧成田空港駅の一部を見学できることだ。
東成田駅は1978年5月21日(日曜日)、本線の旧成田空港駅として開業した。当初、京成電鉄は「第1ターミナル内の地下に成田空港駅を構えたい」と空港公団に何度も要望したが、首をタテに振らなかった。やむなく第1・2ターミナルに近接する地点を選び、1971年に建設する運びとなった。
当時、新東京国際空港が1972年夏の開港を目指しており、突貫工事で進められていたが、延期が決定。工事をペースダウンしても、京成成田―旧成田空港間の新線建設は1972年11月に完成し、陽の目を見るまで6年も要してしまう。
その後、1974年に国鉄が成田新幹線を着工し、成田空港駅は第1ターミナルの直下に建設された。しかし、反対の声が多く、用地買収の難航なども重なり頓挫してしまう。
結局、新東京国際空港の鉄道アクセスは、京成電鉄のみが担うことに。旧成田空港駅から第1・2ターミナルまでは、有料のシャトルバスに乗り継ぐ展開となった。
不便な状況を打破するきっかけとなったのは、1987年11月6日(金曜日)に石原慎太郎運輸大臣が成田新幹線の在来線転用を提案したこと。詳細は割愛させていただくが、第1ターミナルの直下に建設された成田新幹線の駅が形を変えて、陽の目を見ることになったのだ。
1991年3月19日(火曜日)、京成電鉄は駒井野分岐点を境に本線のルートを変更の上、成田空港駅の名称は、現在地に変わる。そして、本線旧ルートは東成田線、旧成田空港は東成田にそれぞれ改称された。また、同日よりJR東日本も新規参入し、特急〈成田エクスプレス〉の運行を開始した。
東成田に改称後、コンコースの一部についたてを立てて閉鎖。引き続き空港の従業員輸送を担うほか、のちに空港第2ビル駅への連絡通路が完成した。
改札を出ると、京成電鉄、京成トラベルサービス、芝山鉄道によるオリジナルグッズの販売、抽選会の実施が行なわれる。そして、この駅最大の目玉は、“秘境”と化した旧成田空港駅の一部を見学できることだ。
東成田駅は1978年5月21日(日曜日)、本線の旧成田空港駅として開業した。当初、京成電鉄は「第1ターミナル内の地下に成田空港駅を構えたい」と空港公団に何度も要望したが、首をタテに振らなかった。やむなく第1・2ターミナルに近接する地点を選び、1971年に建設する運びとなった。
当時、新東京国際空港が1972年夏の開港を目指しており、突貫工事で進められていたが、延期が決定。工事をペースダウンしても、京成成田―旧成田空港間の新線建設は1972年11月に完成し、陽の目を見るまで6年も要してしまう。
その後、1974年に国鉄が成田新幹線を着工し、成田空港駅は第1ターミナルの直下に建設された。しかし、反対の声が多く、用地買収の難航なども重なり頓挫してしまう。
結局、新東京国際空港の鉄道アクセスは、京成電鉄のみが担うことに。旧成田空港駅から第1・2ターミナルまでは、有料のシャトルバスに乗り継ぐ展開となった。
不便な状況を打破するきっかけとなったのは、1987年11月6日(金曜日)に石原慎太郎運輸大臣が成田新幹線の在来線転用を提案したこと。詳細は割愛させていただくが、第1ターミナルの直下に建設された成田新幹線の駅が形を変えて、陽の目を見ることになったのだ。
1991年3月19日(火曜日)、京成電鉄は駒井野分岐点を境に本線のルートを変更の上、成田空港駅の名称は、現在地に変わる。そして、本線旧ルートは東成田線、旧成田空港は東成田にそれぞれ改称された。また、同日よりJR東日本も新規参入し、特急〈成田エクスプレス〉の運行を開始した。
東成田に改称後、コンコースの一部についたてを立てて閉鎖。引き続き空港の従業員輸送を担うほか、のちに空港第2ビル駅への連絡通路が完成した。
昭和の風情
資材置場ながら、往時の面影と時代を色濃く残す“珠玉の空間”。
いよいよ、ついたてに設置されたドアを通り、“「旧成田空港駅」という名のレジェンドエリア”へ。天井の照明も最小限にとどめるという暗い空間ながら、かつての“世界の玄関口”の面影を残している。
役目を現在の成田空港駅(1991年当時、空港第2ビル駅は未開業)に譲ったことで、ホームに不必要なものを可能な限り撤去し、旧コンコースを資材置き場に充てていた。開業時からコンコースに掲示したものに関しては、可能な限り、そのままにとどめている。
看板や時刻表などの書体を見ると、昭和の時代がよみがえる。当時、私は書体を見ても、特に意識しなかったが、時代が21世紀、令和に変わると、書体によっては柔らかく優しい感じに映る。
立入禁止エリアには飲食店跡地があり、看板がそのまま残されている。整備さえすれば、営業再開できそうなほど。ただ、第1~3ターミナルからわざわざ足を運ぶ人がほとんどいない状況では、これから先も時が止まったままだろう。
「スカイライナーのりば」と称するホームへ。ここは旧1・2番線で、文字通り〈スカイライナー〉専用のホームだった。隣の現役ホームも含め、ホーム有効長は10両編成分を確保している。
役目を終えたあとも、旧成田空港の駅名標、壁面の公告、線路、架線、信号設備が一切撤去されていない。特に壁面の公告は、東武鉄道100系スペーシア、デビュー時のものが色あせながらも31年間にわたり健在である。
さて、旧2番線には、2代目3100形が戻っていた。ここではデジタル方向幕に多種多彩な列車種別と行先を表示し、撮影会と化す。京成電鉄広報によると、旧1・2番線の現在は、車両の夜間留置など、普段から列車が1本も入らないという。
一方、隣の現役ホームは、当時3・4番線と振られ、一般列車ホームだった。路線名と駅名改称後は1・2番線に変更され、さらに芝山鉄道の地下トンネルが掘削された。現役ホームは京成電鉄と芝山鉄道の境界駅、旧ホームは終着駅のまま、これからも時が過ぎゆく。
参加者の多くは、2度と入れないであろう“秘境”を存分に楽しんでいた。特に平成生まれの方は、“昭和の光景”を肌で感じたと思う。
役目を現在の成田空港駅(1991年当時、空港第2ビル駅は未開業)に譲ったことで、ホームに不必要なものを可能な限り撤去し、旧コンコースを資材置き場に充てていた。開業時からコンコースに掲示したものに関しては、可能な限り、そのままにとどめている。
看板や時刻表などの書体を見ると、昭和の時代がよみがえる。当時、私は書体を見ても、特に意識しなかったが、時代が21世紀、令和に変わると、書体によっては柔らかく優しい感じに映る。
立入禁止エリアには飲食店跡地があり、看板がそのまま残されている。整備さえすれば、営業再開できそうなほど。ただ、第1~3ターミナルからわざわざ足を運ぶ人がほとんどいない状況では、これから先も時が止まったままだろう。
「スカイライナーのりば」と称するホームへ。ここは旧1・2番線で、文字通り〈スカイライナー〉専用のホームだった。隣の現役ホームも含め、ホーム有効長は10両編成分を確保している。
役目を終えたあとも、旧成田空港の駅名標、壁面の公告、線路、架線、信号設備が一切撤去されていない。特に壁面の公告は、東武鉄道100系スペーシア、デビュー時のものが色あせながらも31年間にわたり健在である。
さて、旧2番線には、2代目3100形が戻っていた。ここではデジタル方向幕に多種多彩な列車種別と行先を表示し、撮影会と化す。京成電鉄広報によると、旧1・2番線の現在は、車両の夜間留置など、普段から列車が1本も入らないという。
一方、隣の現役ホームは、当時3・4番線と振られ、一般列車ホームだった。路線名と駅名改称後は1・2番線に変更され、さらに芝山鉄道の地下トンネルが掘削された。現役ホームは京成電鉄と芝山鉄道の境界駅、旧ホームは終着駅のまま、これからも時が過ぎゆく。
参加者の多くは、2度と入れないであろう“秘境”を存分に楽しんでいた。特に平成生まれの方は、“昭和の光景”を肌で感じたと思う。
八千代台へ
鉄道のミステリーツアーは、“サプライズツアー”でもある。
「京成線ミステリーツアー」は、同じ車両ながら東成田で降り、隣の旧成田空港から乗る展開となった。旧ホームとはいえ、発車ベルも健在で鳴り響く。乗降用ドアが閉まると運転士が電子笛を鳴らし、定刻通り11時38分に発車。地下トンネルを出た直後の駒井野分岐点で、本線に合流する。
往路に引き続き京成成田を通過。宗吾参道も通過すると、水田が広がってゆく。まるで“いやし系”のような車窓だ。
水田を離れ、京成電鉄でもっとも利用客が少ない大佐倉を通過。2019年度の1日平均乗降人員は402人ながら、意外にも特急が停車する。本線京成佐倉―成田空港間の一般列車は、快速特急を除き、すべて各駅に停まるためだ。
11時55分、京成佐倉2番線で運転停車。向かいの1番線では、始発の快速(押上から各駅停車)西馬込行きが発車した。所在地の佐倉市は長嶋茂雄さんの出身地として名高い。
11時58分に発車すると、ゆっくり走る。以前、ヤギが迷い込んだのり面を通過する。住宅地に入るとゴールが近い。
12時14分、終点八千代台1番線に到着。この駅の京成成田方に渡り線という分岐器があり、上り線から下り線に転線できるのだ。下車後、参加者に今回の「京成線ミステリーツアー」乗車証明書、芝山鉄道の乗車証明書、エコバッグが渡され、“夢の時間”が終わりを告げた。
【取材協力:京成電鉄、京成トラベルサービス】
往路に引き続き京成成田を通過。宗吾参道も通過すると、水田が広がってゆく。まるで“いやし系”のような車窓だ。
水田を離れ、京成電鉄でもっとも利用客が少ない大佐倉を通過。2019年度の1日平均乗降人員は402人ながら、意外にも特急が停車する。本線京成佐倉―成田空港間の一般列車は、快速特急を除き、すべて各駅に停まるためだ。
11時55分、京成佐倉2番線で運転停車。向かいの1番線では、始発の快速(押上から各駅停車)西馬込行きが発車した。所在地の佐倉市は長嶋茂雄さんの出身地として名高い。
11時58分に発車すると、ゆっくり走る。以前、ヤギが迷い込んだのり面を通過する。住宅地に入るとゴールが近い。
12時14分、終点八千代台1番線に到着。この駅の京成成田方に渡り線という分岐器があり、上り線から下り線に転線できるのだ。下車後、参加者に今回の「京成線ミステリーツアー」乗車証明書、芝山鉄道の乗車証明書、エコバッグが渡され、“夢の時間”が終わりを告げた。
【取材協力:京成電鉄、京成トラベルサービス】
2か月連続!! 京成線ミステリーツアー THE MOVIE
2021年5月22日(土曜日)、京成トラベルサービス主催、京成電鉄後援の「京成線ミステリーツアー」が2か月連続で開催されました。
記事については下記URLを御参照ください。
https://bit.ly/2QX52ly
記事については下記URLを御参照ください。
https://bit.ly/2QX52ly
以上は 3 年前に書かれた内容です
岸田法眼の鉄道チャンネル
『Yahoo! セカンドライフ』(ヤフー刊)の選抜サポーターに抜擢され、2007年にライターデビュー。以降はフリーのレイルウェイ・ライターとして鉄...
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